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稲城市「陸軍多摩火工廠」フィールドワーク調査の報告 [まちのできごと]

 3月21日に「稲城の里山と史跡を守る会(通称・里山の会)」と「文化財保存全国協議会関東委員会(通称・全文連)」の共催による、多摩サービス補助施設内の「陸軍多摩火工廠」跡のフィールドワーク調査を行いました。とても刺激的で楽しいフィールドワークでした。その一部を報告いたします。

1.多摩サービス補助施設とは?
 多摩サービス補助施設は稲城市の北西に位置する、在日米軍横田基地の付属施設です。敷地の多くが稲城市ですが、一部は多摩市にもまたがって位置しています。面積は約2K㎡で稲城市の総面積の約1割を占めており、立川にある昭和記念公園よりも広い敷地を有しています。
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※稲城市の地図
 戦後GHQによって占領をされた都内の土地や建物の多くは返還をされてきましたが、多摩サービス補助施設はその中でも数少ない都内に残っている米軍の占領施設になっています。その役割は、横田基地に所属する軍人及び家族のレクリエーション施設であり、アウトドアやゴルフ、乗馬(!)などを行うことができます。 結果的には手つかずの自然がそのまま残されていて、里山の雑木林や市内ではほとんど見かけなくなった山草などを多く見ることができました。
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 米軍施設ですので、出入りできるのは米軍関係者のみに限られています。以前(数十年前)はかなり自由に出入りができたようですが、今では年に一回稲城市が主催する開放日のお祭り以外では、市民といえどもほとんど出入りすることはできない施設です。
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※施設内の遊歩道
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※当日見つけた山草

2.陸軍多摩火工廠とは?
 工廠(こうしょう)とは、「軍隊直属の軍需工場のことで、武器・弾薬をはじめとする軍需品を開発・製造・修理・貯蔵・支給するための施設」(ウィキペディア)です。多摩火工廠は陸軍の火薬製造所でした。板橋にあった造兵廠火工廠板橋製造所で作られた原料を火薬に加工して形を整えたり、袋に詰めたりする作業が行われました。できた物は相模の補給廠に送られて、砲弾や爆弾などに最終加工されて戦場に送られました。日中戦争が始まる盧溝橋事件(1937年7月)と同じ年の5月に計画されて翌年に開所、終戦までの8年間にわたって稼働して最終版では従業員数は2千人を超えていました。
 この施設は稲城市の歴史やまちづくりにとっても大きな位置を占めています。稲城が選ばれた理由は諸説ありますが、板橋の工場から原料を運び入れて相模の補給廠に加工品を送るための中間地点としての要素と、川が近くにあり砂利や水を大量に供給することができて、なおかつ危険物を扱うための人里離れた山林地帯であることが大きな理由であったと考えられます。施設を作るにあたっては、当時の地主の人たちから強制的に二束三文で土地が徴収されたために、終戦後も地域からは「怨嗟の声を聞く」と稲城市史にも書かれています。そして、この火工廠内にあった陸軍病院が戦後はそのまま残り、現在の稲城市立病院の原型になりました。また、当時の従業員の人たちの宿舎があった場所は、戦後は満州などからの引上げ者の住まいになり、現在は大丸都営アパートの団地群となっています。
 戦後は、この施設ごとGHQが接収をして、一時は弾薬庫として弾薬の保存庫として使用されていました。ベトナム戦争時には傷病兵の野戦病院にする計画が持ち上がり、市内をあげての大反対運動が起きたこともありました。

3.今回のフィールドワーク調査の経過
 前述のように、多摩サービス補助施設は米軍施設であり、立入は厳しく制限をされています。しかし同時に、都内でも数少ない大日本帝国陸軍の施設が現存をしている場所でもあります。この間、全文連の皆さんが全国にある戦争遺跡の調査や保存を続けられていく中で、この陸軍多摩火工廠についても調査をしたいとの要望が出されました。そこで、里山の会との共催でフィールドワーク調査を行うこととなりました。
 しかし、調査を開始するまでが一苦労でした。稲城市のホームページでは多摩サービス補助施設はについて、「横田基地より、多摩サービス補助施設については、米軍兵のレクリエーション施設であるため、一般の方の利用はできないとのことです。」という一文が載っているのみで、ほとんど関与できないという姿勢です。里山の会の方が市の直接相談に行ったら「横田基地の管轄などでどうしようもない」とにべもなく言われて、その方は「稲城市は多摩火工廠の価値や意義についてについて本当に分かっているのか?」と大変失望をされていました。
 こういった経過について私も相談を受けたので、それでは議会で取り上げようと考えて2015年の12月議会の一般質問で「多摩火工廠の歴史的・教育的価値について」というテーマで質問をしました。(詳細は12月9日付記事「稲城市議会12月議会一般質問の報告③~海外姉妹都市検討会議と多摩サービス補助施設について~」参照) 結果的に、この一般質問を行った数日後に里山の会の代表者に稲城市から「純粋な学術研究として中に入れるように横田基地と交渉をするのでしばらく待ってほしい」と連絡が入り、フィールドワーク調査を実現することができました。稲城市や横田基地が主催をする行事以外で、こういったフィールドワーク調査がされるのは本当に異例のことです。そういう意味では、私の議会での発言もフィールドワーク実現の一助になれたかと思うと大変感慨深いものがあります。

4.フィールドワーク調査の概要
 今回の調査は多摩サービス補助施設の外周に沿いながら、現存している火工廠当時の建物や施設の多くを見ることができました。火工廠は第1工場から第3工場まで作られました。なお、終戦直前に第4工場が作られたようですが、公式の地図には載っていません。
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※火工廠の全体図
 原料を加工して火薬にしたり、できた火薬を保管したりするために、それぞれの工場や建物は自然の崖や人工の土塁によって区切られています。特に危険物を扱う作業場などは、崖地をそのまま残してトンネルだけで出入りをするようになっています。
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※トンネルの奥が火薬を取り扱う作業場
 建物で多く残っているのが、全面コンクリート製の半地下式倉庫です。運ばれてきた火薬の原料や完成した火薬を保管するのにつかわれていました。自然の起伏をそのまま使って、崖をくりぬいてその中をコンクリートで固めています。高さ、幅、奥行きとも大きく作られており、資料上では全部で7つ確認をされています。扉も鉄製でなくなっている物、残っている物、残っているが腐食でボロボロになっている物など様々でした。多くは運搬の関係で大きな通りに面して作られていてそのままの形で残っていたのですが、1つの物は雑木林の奥に在り草木に覆われていました。
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※半地下式倉庫1
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※半地下式倉庫2
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※半地下式倉庫3
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※半地下式倉庫4
 もう一つ建物で残っているのが、当時は事務室や火薬以外の倉庫として使われていた木造やモルタルの建物です。初期の物は作られて80年近くが経過をして、多くが取り壊されてしまいました。しかし、今回のフィールドワークでは数少ない木造・モルタルの建物を見ることができました。屋根は米軍が葺き替えているようですが、壁などは当時のままです。中も倉庫として使われています。ただ、これらの建物もだいぶ傷んでおり、特に木造の建物は「土台が腐ってきている」とのことで、なんらかの保存対策をしないと近いうちにこれらの建物は完全になくなってしまう状況でした。
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※木造倉庫とモルタル建物
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※木造倉庫
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※木造倉庫の中
 倉庫以外の建物で特徴的に残っているのが、エレベーターと階段が一体になった施設です。火工廠全体が山の起伏を利用して作られたために、大きな高低差があちこちにあります。これらを解消するために、荷物用エレベーターが作られました。資料上では3カ所が確認されており、今回は2カ所を見ることができました。パッと見ると縦長のトンネルに見えるのですが、中に入ると竪穴がありエレベーターのシャフトになっています。荷物はエレベーターを、人間は脇の解団を使って上下するようになっています。よく考えれば当然の措置なのですが、周りは木と草しかない里山の中にエレベーターという近代的な機械が設置をされていたことに驚きました。
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※切込みの下にあるエレベーター
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※草木におおわれたエレベーター
 大きな建物以外にも火工廠のなごりが敷地内のあちこちに残っています。陸軍の星マークが入った消火栓苔におおわれた入浴施設の基礎部分崖崩れを防ぐ土塁大型ボイラーと煙突など、本当に様々な物が当時のまま見ることができました。
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※星のマークの入った消化器
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※入浴施設の土台跡
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※当時のままの土塁
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※大型ボイラーと煙突

5.多摩火工廠のこれから
 今回の見学会で感じたのは、やはり多摩火工廠の遺構は1級の戦争遺跡・歴史遺産であり、稲城市の重要な文化財であり、貴重な学習教材であるということです。私も議会で質問をするために資料を読んだり、写真を見たりして一定の勉強をしましたが、やはり実物を見ると受け止めが全く変わってきます。山の起伏をそのまま使って施設を配置していることや、崖やトンネルで危険な施設を隔離していること、こういった施設を作るのに膨大な人員が必要であったことなど、まさに軍事施設として作られて使われていたことがよくわかります。
 これだけ貴重な遺構を一部の米軍関係者しか見ることができず、市民はほとんど知らされていないというのは本当に残念です。今回のフィールドワークも多くの方が参加を希望したのですが、横田基地からは「40人まで」という制限がつき、申し込んだ方の半分以上をお断りすることになってしまいました。
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※サービス補助施設の入り口の警告看板
 議会の質問でも「市として積極的に調査、保存に取り組む」ことを指摘しましたが、さらに付け加えるのなら「市民への公開」をすぐにでも行うべきです。根本的には多摩サービス補助施設を日本に返還させることが一番の解決ですが、それをまたずに市民への定期的な公開小中学校での歴史教育としての見学学習を実施すべきです。稲城市は「米軍施設などで市ではどうしようもありません」ということではなく、市の歴史にも大きな影響を与えている施設であるとして必要な交渉をすべきであると、改めて深く感じました。今回のフィールドワーク調査で得たものを今後の議会活動にいかしていき、何としても市民への積極的な公開につなげられるようにするためにも多くの皆さんと力を合わせていく決意を新たにして、今回の報告とします。

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コメント 4

kk

質問君で大変恐縮です。  県外の者です。
私は戦争遺跡に興味があり、昔から「陸軍多摩火工廠」を見たいと思っておりました。  不定期に見学会があるのはネットで見て知っていましたが、7年ほど前から地元の教育委員会、・・・会等に問い合わせのメールを出すものの、地元の者ではないせいかご返事を頂けたことはありません。
今回、このブログにて先日あった事を知り、やはり私には縁のない所なのかと思いました。
業務と関係のない話で恐縮ですが、また機会があるようでしたら、是非見てみたいと考えております。  抽選で漏れたのならば仕方はないのですが、いつの間にか開催されているという閉鎖的で申し込みすら出来ない状態は何とかならないものか、と思っております。
by kk (2016-04-04 21:05) 

YaMa

ご連絡ありがとうございます。
本文に書きましたが、今回は入るのに相当苦労をしました。
市が主催する見学は市民に限られており、市外の方が参加できる機会はほぼ皆無です。
今回も40人限定になってしまい、広くお知らせをすると申し込みが殺到をすると考えて会の関係者に限らせていただきましたが、それでも80人以上の申し込みがあって半分の方をお断りせざるえませんでした。
最大の問題は日本の土地の、日本の歴史資料なのに、日本人が自由に見ることができないという点です。
今回の調査で遺構の価値などを再発見をいたしましたのでサービス補助施設の返還とともに、見学や調査の積極的な受け入れについて議会などで取り上げていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
by YaMa (2016-04-05 09:48) 

kk

お忙しい中コメント頂き大変感謝いたします。
今までもコンタクトは個人情報をしっかり伝えてきていましたので、何とか見る機会があればと切望しております。
by kk (2016-04-06 23:18) 

佐藤 祐康 (サトウ  スケヤス)

「多摩サービス補助施設(陸軍多摩火工廠)」の見学会について

 初めてご連絡させていただきます埼玉県居住の者です。
標記の工廠跡については、見学の機会はないものと諦めていましたが、御会のことを知り、ご無理とは重々知りながらご連絡させていただきました。
 私は、先の大戦で兄二人を亡くしております。国から受け取った白木の箱には、砂と恩賜のタバコだけが入っていました。
 昨年の暮れに、愛知県豊川市主催の「豊川海軍工廠」の見学会に参加させていただきましたが、選択肢の無い時代に生きた人々、徴用工員や動員学徒の悲惨な実態を知り、涙せずにはおられませんでした。広島の「似島」でも被爆者の悲しみを味わいました。
 戦争の惨禍と往時を知るには、戦争遺構は貴重な遺跡と思われます。放置され時運のままに消えゆく現状の姿に忍び難く、次回の見学会に参加することができましたらこの上ない幸甚です。市民優先は承知ですが、万一の枠に期待して申込させていただきました。
 長文をお許しください。最後に「多摩サービス補助施設」の一部返還おめでとうございます。早く全域の返還を切望すると共に、御市のますますのご発展を祈願申し上げます。
by 佐藤 祐康 (サトウ スケヤス) (2018-02-05 11:29) 

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